2020-09-21 ナンバー2 本田技研工業を創設した本田宗一郎さんは、ナンバー2の藤沢武夫さんが、良かったのです。 ナンバー2が、組織の雌雄を決めますから。 本田宗一郎さんは、鈴鹿市に来たとき、鈴鹿商工会議所のビルの上に、本田技研工業の大看板が掲げられているのを見て、激怒し、すぐに、撤去させたのです。 商工会議所は、企業の売名に使ってはならぬという理念を持っていました。 もし、ずっと本田宗一郎さんが生きていたら、間違いなく、HONDAの一時的なF-1撤退はしなかったと思います。